こんなに違う今と昔~社会編~

 18日(日曜)も、21時までテスト勉強をしています。学校のワークだけは、しっかりとやらせたいと思います。さて、

中1生から、「縄文式土器」と「縄文土器」についてどちらが正しいかとの質問がありました。

そして、ほぼ同時に中2生から「リアス式海岸」と「リアス海岸」についてどちらが正しいか質問がありました。テキストや先生によって、表記が異なるそうです。

 

 

結論からすると、字数指定がない限りどちらも(「式」があってもなくても)正解となります。

研究が進むにつれ、縄文土器でも時期などによって、種類が異なることがわかってきたため、

縄文土器の○○式土器のように扱われるようになりました。

「弥生式土器」と「弥生土器」も全く同じです。

「縄文式、弥生式」という説明が難しくなったため、作られた時代別に「縄文土器」「弥生土器」として扱っています。

昔の教科書には、「式」があるもので表記されていたのに・・・

 

今回は、「こんなに違う昔と今 社会編」を5つだけご紹介いたします。


1.「式」の表記がなくなる

 英語では rias shoreline 、ドイツ語ではRiasküstelinie と表記されている「リアス(rias)」という言葉。これは、スペイン北西部のガリシア地方に見られる「ria」(出入りの多い湾)に由来しています。平成18年度以前の教科書では,「リアス式海岸」と表記していましたが,「リアス地方の海岸地形」とまるで地名のように誤解されやすいこと、また、 「リアス」が地形の形状そのものを表しているため,「式」を入れる必要がないこと,

などを主な理由として,現在多くの教科書が「リアス海岸」と表記しています。

「式」がなくなったものは他にも、

「高床式倉庫」→「高床倉庫」

「竪穴式住居」→「竪穴住居」

がありますが、いずれも「式」を書いても丸になります。


2.「絵踏」と「踏絵」

 幕府のキリスト教徒取り締まりの過程で行われた「行為」については,従来は「踏絵」という表記がされてきました。ただし、踏ませたものと,その行為自体の呼称が異なっていたという点から,


踏ませる行為を「絵踏(えふみ)」,

踏ませるものを「踏絵」


と区別されるようになりました。


3. 「工業地帯」と「工業地域」の違い

 歴史あるものが「地帯」、比較的新しいものを「地域」だ!!と自信満々に語る人などが時々おりますが、実際は

 「工業地帯」と「工業地域」の用語の定義には様々な説があり,両者を区分する明確な基準があるとは言えないようです。(テレビ番組のように「諸説あり」の注釈をいれるわけにいきませんね。)

 以前は、京浜・中京・阪神・北九州の「工業地帯」を日本の「四大工業地帯」として扱ってきました。しかし,「北九州工業地帯」の工業生産額は,他の「工業地帯」と比べて大きな差があるうえ,現状では関東内陸・東海・瀬戸内などの「工業地域」よりも低下していることから,近年は「北九州工業地域」として扱うように変わってきています。

  教科書によっては、便宜的に「○○工業地帯(地域)=△△県+▲▲県」といった定義づけをして,統計数値を示しているものもあります。

(例)

 【北関東工業地域】 茨城県+栃木県+群馬県

 【京浜工業地帯】 東京都+神奈川県+埼玉県

 【京葉工業地域】 千葉県

 【北陸工業地域】 新潟県+富山県+石川県+福井県

 【東海工業地域】 静岡県

 【中京工業地帯】 愛知県+三重県

 【阪神工業地帯】 大阪府+兵庫県

 【瀬戸内工業地域】 岡山県+広島県+山口県+香川県+愛媛県

 【北九州工業地域】 福岡県

お疲れ様でした、北九州工業「地帯」!?


4.堺市の前方後円墳

 かつては、当然のように「仁徳天皇陵」として扱われていた、堺市大仙町の古代古墳。ただし、現在は「大仙古墳」または「大山古墳」として扱われるのが主流です。

なぜ、でしょう??

それは、被葬者についての学術的な検証がされていないためです。実際のところ、誰が埋葬されているか断定できていません。

教科書では,

「仁徳天皇陵」→「仁徳陵古墳」(仁徳陵という名の古墳)→「大仙古墳」

と表記が変更されてきました。

 「大きな山」という意味からの呼称で,「大山古墳」と表記するか、堺市の所在地の住居表示である「大仙町」の表記にもとづき,「大仙古墳」とするかが主な表記です。

ではなぜ、検証がされていないのでしょうか。

それは、古墳の管轄が「宮内庁」だからです。自分にあてはめてみてください。勝手に(許可があっても?)御先祖様の御墓を荒らされたくはありませんよね!

宮内庁はあくまで「仁徳天皇陵」として表記しています。


5.「士農工商」は使わない!?

 平成24年度教科書から,階級制度的な身分制度の理解に陥らないよう,「武士(士),百姓(農),町人(工商)」という形で表記されるようになりました。武士を除いた残りにおいて、上下はありません。

 明治時代に江戸時代の身分制度を廃止していく過程では,「四民平等」という言葉が,当時の人々の間で定着していたため,「四民」を指すものとして,「士農工商」が用いられていました。

 ただし、江戸時代の身分制度は,大きく「武士」と「百姓」「町人」に分けられ,百姓と町人には身分上の上下関係がなかった(えた身分,ひにん身分等は「身分外の身分」という扱いを受けていた)ようです。

 近世の身分構成が「武士と百姓・町人」である点をしっかり認識する必要があります。


ほかにも紹介したい変更点がありますが、今回はここまで。

定期テストや中学高校受験と、それぞれの目的に向けてしっかり勉強していきましょう!

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